2010年08月13日

汝はルシファーの預言者「反キリスト」である

今日のテーマはこれだが、この中に獣哲学の総てが集約されている
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神はモーゼに「わたしはある。わたしはあるという者だ」と告げた。
わたしはある…ヘブライ語で「YHWH」と表記し、「ヤハウェ」と発音する。
イエスは「アブラハムが生まれる前から私はある」と語った。
イエスは「ヤハウェ」を名乗ったのだ。
モーゼやイエスはヤハウェの預言者だった。
預言とは「神の言葉(天啓)を預かる」という意味である。

人は日々、誰もが大なり小なり、ヤハウェの天啓を受けて生きている。
人間がそれを無視しているだけであり、天啓に気づいていないのではない。
ヤハウェとは……YHWHの一霊四魂、簡単に言うと「魂」の事である。
ヤハウェの天啓とは「魂からのメッセージ」の事なのだ。
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獣は常々「ヤハウェは悪神」だと主張しているが、ここで少し説明しておく。
まず、「ヤハウェ」という名の神が存在する訳ではない。
ヤハウェは「わたしはある」、英語で「I am」となり、
これを和訳すると「私は○○○である」となる。
つまり、名前が隠されている状態なのだ。
では、神の名である○○○とは一体何なのか。
ヒントはイエスの言葉にある。
「わたしは世の光である」

世の光は「太陽」を意味し、ヤハウェが太陽神である事を示唆している。
ユダヤ人は「神の名をみだりに唱えるなかれ」というモーゼの十戒に従って、
ヤハウェを「アドナイ」と呼んでいる。
アドナイは「アドン」の複数形で、エジプトの太陽神「アトン」である。
何を隠そう、ユダヤ人は神(ヤハウェ)の名を口にしているのである。
そして、アドンが複数形にされているという事は、
古代において多神教の影響があった事を物語っている。
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さて、アトンはアマルナ改革(古代エジプトの宗教改革)によって、
唯一神として定められた太陽神である。
それ以前のエジプトは、太陽神「アメン」を主神とする多神教だった。
アメンはアトンによって埋没させられた神だったのだ。

ユダヤ教はアトン教であり、アトンはアドナイと呼ばれるようになった。
一方、アメン教を守り続けたのが「イスラエル10支族」だった。
彼らが崇拝した黄金の子牛像「アモン」が、太陽神アメンである。
そしてカナン神話の主神「バアル」も、牡牛の姿をした太陽神であり、
「アモン=バアル」という等式が成立する。

バアルは暴風雨の神でもあり、牛を象徴する暴風雨の神「スサノオ」である。
高天原から追放されたスサノオは、堕天使「ルシファー」と同一神。

「アモン=バアル=スサノオ=ルシファー」

いずれも、聖書や記紀で悪魔(悪神)とされる存在である。
故に、スサノオを祀る神社は「ルシファー神社」だと言っても良い。
さて、ヤハウェは「アトン」として信仰されてきた。
アトンが「ヤハウェ」として信仰されてきたと言った方が的確だろうか。
いずれにせよ、ユダヤ教やキリスト教の唯一神ヤハウェは「アトン」なのだ。
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だが、なぜ名前を隠す必要があったのか……。
それは真のヤハウェの正体が「アモン」だからである。
つまり、真実のヤハウェは「わたしはアモンである」という事だ。
換言すれば「わたしはルシファーである」という事になる。
ルシファーは「明けの明星」「蛇」「光」という言葉で象徴されているが、
それらはイエスの象徴と同じなのだ。
つまり、イエスは「ルシファー」を名乗った事になる。

『日月神示』は、天の岩戸開きで出てきた天照大神は偽物だと指摘する。
アマルナ改革では、アトンの出現によってアメンが封印された。
『日月神示』によると、悪神の総大将「盤古大神」の台頭によって
国常立尊が封印されたという。
これら一連のストーリーの構図は同じである。
しかも、盤古大神は太陽から天降った神であり、
国常立尊は艮の金神(スサノオ=ルシファー)である。

つまり、「盤古大神=アトン」「国常立尊=アモン」という事になり、
適切な表現ではないが分かりやすく言うと、
「盤古大神=ヤハウェ」「国常立尊=ルシファー」である。
盤古大神は悪神(体主霊従主義の意)で、国常立尊は正神(霊主体従の意)
であるが故に、「ヤハウェが悪魔」で「ルシファーが神」なのだ。
換言すれば、ヤハウェは「偽の天照大神」で、
ルシファーが「真の天照大神」という事になる。
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王仁三郎は、スサノオが贖罪神・救世主であることを明らかにした。
『日月神示』にも次のように示されている。

「スサナルの大神様罪けがれ祓って隠れて御座るのざぞ」

これは「国常立尊の隠退」「ルシファーの堕天」
「天照大神の岩戸隠れ」などと、話の骨子は同じである。
スサノオ(スサノオ)は艮の金神=国常立尊であり、
スサノオの堕天はルシファーの堕天であり、
イエスの死は「天照大神の岩戸隠れ」であった。
神界での出来事は、時を変え場所を変え、人間界で何度も繰り返す。
『日月神示』が説く岩戸隠れと「偽の天照大神の出現」は、
古代エジプトではアモンの埋没とアトンの出現であり、
日本においては出雲族の封印と日向族の皇位掌握であり、
そしてイエスの死とキリスト教の誕生として顕れている。

ルシファーはマグマだが、マグマを活性化させているのは太陽であり、
太陽のプラズマエネルギーを活性化させているのはシリウスである。
故に、太陽もシリウスも「ルシファー」だと言えるのだ。
イエスは「太陽」を象徴するという事は、天の父とはシリウス、
つまりイエスが説いた真実のヤハウェは「ルシファー」の事なのだ。
シリウス(ルシファー)と太陽(イエス・キリスト)の関係は、
御父(神)と御子(人間)の関係である。
黒住教の教義では「人間の魂は天照大神の分魂」だという。
それ故、人間の魂はルシファー(真のヤハウェ)なのだ。
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通常、その啓示はインスピレーションという形で受け取るのだが、
それを天啓とは知らずに、頭で考えて素直に実行していないのである。
例えば「散歩に行こう」と思えば、それが天啓である。
ところが、「雨が降りそうだからヤメとこう」とか「用事を済ませてから行こう」
と思って、中止にしたり先延ばしにしたりするのである。
或いは「久しぶりにA君に電話しよう」と思いつけば、それも天啓である。
ところが、「A君は今寝てるかもしれないから明日にしよう」とか
「今忙しいだろうから後で電話しよう」と頭で考えて天啓に従わないのである。

天啓とは、最初にふと思った事である。
天啓を無視して、自分の頭で考えて行動してる人の何と多い事か……。
私はもともと右脳タイプで、論理ではなく感性で動く人間だったが、
過去を振り返ってみて結果的にそれが良かったと思う。
明確な目標を持ち、具体的な計画を立て、信念を持って、
モティベーションを上げ、目標達成に向けて努力する……
成功哲学の骨子は大体そんな感じだが、
それを実行すれば理論的には成功する可能性が高い。
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獣はそうやって成功したきたが、実はこれは最悪な人生設計なのだ。
何が最悪かと言うと、全部である。
「明確な目標」「具体的な計画」「信念」「モティベーション」「努力」
それらの悉くが信念体系領域の思考(幽界レベルの自我の産物)であり、
果てしない輪廻を繰り返す事になるのだ。
端的に表現すれば、地獄行きの特急列車に乗ったようなものである。

我々が望むべき成功は、運命から解放されて輪廻を解脱し、
真我の願い(使命)を実現させる事である。
それが即ち「自己実現」であり、「真の成功」なのだ。
その為に重要な事は、プロセスに身を委ねて魂の声に従う事である。

但し、意識進化の度合いによって、インスピレーションの質は異なる。
人間には、その意識レベルに応じた憑依霊が憑いている。
しかも、憑依霊は人間の思考に影響を与える事ができるのだ。
人間が、自分の考えだと思っている事の多くが実は憑依霊の考えであり、
食欲や性欲も憑依霊の意のままになっている人が殆どである。
人類の9割以上が幽界霊に支配されて生きていると言っても過言ではない。
だが、意識レベルが高ければ高級霊と波長が合い、意識進化をサポートする。
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そして、魂と対話をする為には、まず内観をする必要がある。
内観をしなくても、ある訓練によって魂との会話は可能になるが、
真我に目覚めていないと危険性を伴うので今は紹介しない。
潜在意識や低級霊との対話を「魂との対話」だと思い込む可能性があるからだ。
釈迦は「たとえ私の言葉であっても疑ってかかれ」と語ったが、
『日月神示』にも次のように注意されている。

「神の言葉でも裏表の見境もなく闇雲に信じてはならない。
例え神の言葉でも自分で一応考えて、審神する事が重要である」


以前、獣は「人を信じていない」という事を書いた。
誤解を恐れずにそのように書いたのであるが、
これを読んだ人はどのように解釈しているのだろう。
重要な事は中道で調和的であり、間違った思い込みや信念も心の澱となる。
人を信じないというのは適切な表現ではないが、
その真意は「人を信じている」ということと同義でもある。
信じているが信じていない…変な表現だが、要はニュートラルな状態で、
何者にも洗脳されない状態、不動心であり、自他一体、宇宙即我の状態である。

分かりやすく言えば、獣は人の本質である真我を信じる者であり、
自我(サタン)を信じない者である。
コロコロ移り変わる表面的な想念や言葉に騙されないという意味である。
何故かと言うと、魂と対話が出来るからである。
フーチを使った審神で色々な事も調べられるが、
脳波がシータ波の状態であれば的中率は「ほぼ100%」である。
「ほぼ」というのは、未来に関しては変化する可能性があるからだ。

これで波動や意識レベル、審神、生命体の測定なども出来る
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/143062746.html
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獣は今まで書いてきた事は殆ど覚えているし、その主張にも一貫性があるはずだ。
一昨日も聖母に言われた。
「あんたは何を聞いてもすぐに的確に答えてくれるし、
いつも答えは一緒やし、神様みたいやわ」


そう、私は神様である(笑)
いつも同じ解答なのは、自我ではなく真我で生きているからである。
過去ログを見ても、獣の主張は常に(基本的に)一貫しているはずだ。
それは頭脳の働きやその時の感情で書いているのではないからだ。
表現が変わっても、獣はずっと同じ事を言い続けている。
もし、矛盾点があれば遠慮なく指摘してもらいたい。
そして、獣の精神状態は常に一定である。
文章によって獣の喜怒哀楽を感じるなら、それは思い違いだ。
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獣が言う「人を信じている」は「神を信じている」と同義語である。
他者に内在する自分と同じ神性を信じているという意味である。
「流れに任せる」というのは、神に対する絶対的な信頼感である。
但し、現在どの流れに乗っているかで、どこに漂流するかが決まる。
また、依存や執着、嫉妬、怒り、悲しみ、不安の世界に生きてると、
流れに任せた生き方は出来ない。
自然界の無機質はもちろん、動植物はみな流れに任せて生きているが、
流れに逆らって生きているのは人間だけである。
順天宇宙律に従った生き方が「生命の樹」の上昇、進化方向性なのだ。

「全てはうまくいっている」という肯定的で、
あらゆる拘りや束縛から解放された平和と安寧な状態でなければならない。
「全てはうまくいっている」と信じる事ではない。
「全てはうまくいっている」という事を実感する境地である。
分かりやすく言えば、真我に目覚めれば必然的に流れに任せる生き方になる。
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もりけん氏は運命について研究し、理論的にそのような仮説を立て、
フォーカス70(7次元)でその境地を体験したという。
もりけん氏は「ハンドルを手放せ」とか「オールを手放せ」と表現しているが、
ルシファーは『日月神示』の中で次のように述べている。

「取越苦労するなよ。心配りはせなならんぞ。何もかも神に任せよ。
神の生命、神の肉体となりきれよ。何もかも捨てきらねばならんぞ」

「これと一応信じたらまかせきれよ。
梶をはなして鳴門の渦の中にまかせきれよ。
まかせきるとひらけてくるのぢゃ
悟れたようで悟りきれんのはまかせきらんからぞ」

「鳴門の渦巻きを渡る時はカジをはなして、
手放しで流れに委せると渡れるのであるぞ、
カジをとると同じ処をグルグルぢゃ」

「マコトの神の御心わかりたか。
今までの教へ間違っていること段々判りてくるであろがな」

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但し、それには条件がある。

「神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことぢゃ。
努力なしにまかせるのは悪まかせぢゃ」


これが意味することは十分ご理解頂けると思う。
それには「歓喜」が伴っていることが絶対条件であり、
日月神示は全体を通してそのことを主張している。
獣の言葉で言えば「それは努力ではない」という表現になる。

熱海断食道場の牧内泰道氏も、流れに任せて生きる「風流人生」を説き、
次のように教えている。

「人生は金や物ではなく、中身なのである。
これからは尚更、物や金のように目に見えるものを追い求めるのではなく、
目に見えないものを大切にする時代となってくる。
物から心へ、物質から精神へ、外側より中身へ、の時代である。
好きだからやる。嫌いだからやらないという生き方は正しい。
嫌いでもやらねばならない、嫌いなことに努力する今までの生き方は間違いである」

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想念を浄化するとインスピレーションが働くようになる。
つまり、心・潜在意識をクリーニングする事で、
魂からのメッセージが顕在意識に伝達されやすくなるのだ。
流れに任せきった状態で、魂からのメッセージ(ルシファーの天啓)に
忠実に生きることが、「身魂磨き」だとルシファーは説いている。
『ルシファーによる福音書』で書く21世紀型成功哲学を一言で語ると、
この事であり、それを様々な見地から検証・立証した内容である。

それでは『日月神示』からピックアップしよう。

「神は其の日其の時に何すべきかに就いて教へるぞ。 明日の事に心使ふなよ」

「ミタマ磨きと申すのは、神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、
肉体心すてて了ふて、神の申すことはそむかん様にすることぞ」

「戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下ろしもならず、
人民の智や学や算盤ではどうとも出来ん事になるのが目の前に見えているのざから、
早う神の申す通り素直に言うこときけと申しているのざぞ」


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ESPの石井氏も「パワーの流れに乗ったら、流れに任せろ」と強調し、
「発想即行動」ということを力説している。

私が提言する 「ひらめきの行動」 とは、思いつきや、言葉ではない。
「最後の超念力」第一弾以来「発想即行動」がなければならないと断言してきた。
これがなければ、人生は不透明で不安、窮屈な型にはまったものになってしまう。
「ひらめきの行動」 を実践することで、この型にはまった人生から、
一挙に脱出することができるのだ。
それにはどうすればよいか。私は命をかけて断言する。
「ひらめきの行動」とは、あれこれ考えた末、結論を出して行動してはならない。
所詮、人間の行動など思う通りにならないものだ。
自分を中心にしての考えも同じである。
人間の一生は、周囲の人達によって支えられているのだ
ということを肌で感じている人は何人いるだろうか。
共存共栄の精神は頭で理解できても、それを実践に移せないのが人情である。
なぜできないのか。知識とか教養とか、人間の浅知恵に妨害されているのだ。
言い換えれば、そうした人間の浅知恵で考えた結論で、用心した行動、
自分中心の利害得失を考えてしまうからだ。
ESP流の 「ひらめきの行動」 は、起床からはじまる。
目が覚めて煙草が吸いたいと思えば、これがひらめきだ。
これは直感であって自分の考えではない。
無我の時に発せられた宇宙の心の教えと言ってもよい。
神の教えであり、導きと思えばよい。
だから、ひらめいたらすぐに煙草を吸えばよいのだ。
次にコーヒーが飲みたいと思えば、飲むがよい。
「ひらめきの行動」 とはこの順番を守って行動することなのだ。
ひらめきは、想念や思考ではない。
神の教えなのだから、その通り行動を繰り返すことで奇跡も偶然ではなくなり、
不思議もない当然の成功となる。
これは、思考による軽挙妄動ではないから、直ちに行動することだ。
ESPパワーの中に人間の生命があり、運命がある。
だから「発想即行動」であり「ひらめきの行動」をせよと言うのである。

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「ひらめき即行動がとれるのは、見通しが立っているからだと述べたが、
この見通しとは何か。
普通の場合、目算であったり、予定であったり、皮算用であったりするが、
目算はえてして狂うし、予定は未定ということでもある。
皮算用は取らぬタヌキのなんとやらで、当てが外れることが多い。
私の見通しとは、そういった願望を支えにしたものではないのだ。
この世は何によって動かされているのか。
宇宙の秩序であり、その秩序を創った存在である。
言葉を変えれば神ということになるが、その神の創った秩序、
宇宙の仕組みに従えば、目算倒れに終わることはない。
見通しとは、この秩序、仕組みを知るということなのだ。
ではどうすれば知ることができるのか。実は、直接知ることはできない。
かくなる見通しがあるから、かくのごとく行動するというわけではないのだ。
心のひらめきを即行動に移す。
人間すべて生まれたときから、何をなすべきか、
どうしたらよいかの運命は定まっている。
だからそれが見通しに対するひらめきの発生である。
このことが、神の意にかなっているから、神の見通しに添って良い結果を得る。
逆に言えば、心のひらめきを行動に移せない人は、見通しのない人ということだ」

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神が見通してあるのは、イエスが説いた通り「αでありωである」からで、
人の一生はもちろん、宇宙の初めから終わりまでを包含した存在ゆえに、
見通しなのだ。
更に、日月神示が説くように
「この神は現在も尚、太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつある」
という事であり、運命は決まっているが自由自在でもある事を示している。
その為に与えられるのが「天啓=ひらめき」であり、
魂の道具である心・頭脳・肉体は、それに従う義務があるのだ。

神が見通しであることについて、『日月神示』はこう示している。

「神は見通しざから、心配するな」

「神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面 間違ひないから、
神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。
初めつらいなれど だんだん分りて来るから、よく言うこと聞いて呉れよ」

「神は見通しざから、つぎつぎによき様にしてやるから、 慾出さず、
素直に今の仕事致して居りて呉れよ、 その上で神の御用して呉れよ」


もりけん氏も「ひらめきをすぐに実行する事が良い流れに乗る方法」だと述べ、
天野聖子氏も「魂に任せる生き方」を説いている。
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明けの明星(ルシファー)の預言者・空海の名言
「なるようになる」も同様の意味であり、
道教やチベット仏教で説かれる悟りの境地も共通する。
くれぐれも述べておくが、獣は誰の言う事も信じていない。
今回の記事で言えば、もりけん氏や石井普雄氏などの言葉を借りたが、
それは獣が悟った霊的知識と一致しているからであり、
信じる信じないというレベルの話ではないのである。
また、それらが『日月神示』が説く内容と一致している為、
獣はその根拠を並べて提示しているに過ぎない。

『日月神示』についてもそうである。
21歳の頃、初めて読んだ時は、今まで得た知識と異なる事が多く、
かなり受け入れがたい内容だった。
だが今は、日月神示が説く教えは「信じている」のではなく、
獣が悟ったことと一致しているから素直に共感できるだけである。
たまに納得できない箇所もあり、それについて信じてはいないが、
獣のレベルが上がれば理解できるようになるのかも知れない。
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例えば、死後の世界を知っている人間にとっては、
死後の世界は信じる信じないというレベルの話ではない。
だが、死後の世界を知らない人に信じろと言うのは洗脳である。
しかし、様々な人の臨死体験の内容が一致していれば、
それは死後の世界の存在を示す1つの根拠となる。
「獣神示」でやっている作業は、それと同じような事である。
長くなったが、獣の言いたい事が伝わっただろうか。
出来れば2度3度、読み返して頂きたいが、要点をまとめると次のようになる。

「身魂を磨いて神を信頼して流れに任せる、魂(神)の啓示に忠実に生きる」

これが肉体人間に与えられた課題(神の御用)であり、
使命遂行の流れに逆らわない生き方なのだ。
「霊体一致」が真理だが、それでも霊が主であり、体は従である。
イエスは「同時に2つの主を持つことはできない」と説いた。
自我(悪魔)を主にするか、真我(神)を主にするかは、その人の自由である。
しかし、現代人の90%は善と悪を逆さまに捉えているので、
内観や祝詞などで身魂磨きをしていないと「死の樹」を下降する危険性がある。

「悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、
悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ」

「人が悪く思へたり、悪くうつるのは己が曇りてゐるからぞ」


釈迦の第一声に吹き出してしまった(笑)
posted by 獣 at 23:27| Comment(8) | 獣神示 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
閣下 こんばんは。
閣下の記憶力の正確さには本当に驚嘆しています。
頭の中に百科事典が入っているかのようです。
常にその頭の働きに陶酔していました。

さて、今日は14日です。
あすは15日で終戦記念日です。
わたしはわたしなりに太平洋戦のやり直しを啓示として受けていましたが、おかげさまで通過できたようで、いよいよ離脱の運びとなりました。

神仙組、とくに我が闘争はまさしくわたしの戦いも巻き込んで、閣下の戦いとシンクロしながら、1億総玉砕の勢いで進んできました(笑)

通過するとすぐ忘れる質のわたしですので、この1年を振り返っても狐につままれたような感じです。
でも、超常現象はたしかに起こったのだから、戦いは行われていたのでしょう。

個人的感情としては、現実を完全掌握できる歓びに胸は高鳴っていますが、最後に、沖縄戦の将軍、牛島満中将の自決に際しての歌を再掲させていただきます。

閣下、ほんとうにありがとうございました。
神仙組は認識の世界にそびえるソロモン神殿です。
みなさん、どうもありがとうございました。

秋待たで 枯れゆく島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ

破地獄
Posted by オクト at 2010年08月14日 02:05
こんばんは 閣下。
お久しぶりです。
オクトがきれいに終わったので このままわたしも一緒にと思っていたのですが、反キリストの閣下はそんな偽善を許さないようです。

たびたびこの場に引きずりだして申し訳ないのですが、客観的読者の代表として破地獄の種子さんにごあいさつさせていただきます。

愛というのは手に入れてないと感じればこそ、求めるのですが、知ってしまえば空気のように当たり前で、特に意識もしなくなります。

18年前、カメハメ波によって『神の愛』を胸に入れられて以来、ずっと男性神エホバを愛し続けてきました。
嘆きの神エホバでした。

あなたがたはなぜわたしを見失ってしまったのか。
これほどわたしが愛しているのになぜ気づかないのか。なぜ、愚かな過ちを続けるのか。

誰からも愛されない神、あるいは誰の愛も本物だとは認めていない神の嘆きを耳の奥で聞きました。
可哀想で。
だから愛してきたのです。
閣下はその神を「ルシファーかもしれませんね」とご指摘になりました。
わたしにはエホバもルシファーも同じなのです。
わたしはわたしの神を「I Am That I Am」だと信じています。

神との出逢いがそうだったので、わたしの愛が閣下の愛とどう違うのか、わたしのエホバが閣下のルシファーとどう違うのかは、わたしには分かりません。
わたしに分からないものが、人に分かるはずもないので、人のいうことは聞こえなくなりました。

大切なのは、信じる ということです。
なぜなら、言葉にすると何か違うものになってしまうから。
Posted by オクト28 at 2010年08月14日 23:49
昨日、神仙組を離脱したわけですが、愛も同時に離脱しました。
胸の痛みはまだ続いていますが、これは愛ではなかったのかもしれない、と思い始めています。
18年間は愛だと信じ、信仰の道を歩いて閣下に出逢えたのですから、嘘ではなかったとは思っています。
今は、神であろうが仏であろうが、愛であろうが憎しみであろうが、どちらでもよくなっています。
ただ、あってあることがすべてです。

神仙組について、そうなのかと思っていることを報告させてください。

閣下の意識進化ぐっずは多数紹介されていますが、たしかに閣下は超人です。
こんな存在に遭遇するのは初めてなので、どれぐらいの規模で「超」なのか、わたしにも分かりません。
注目すべきは意識進化に重要な役割をするというピラミッドです。
閣下はピラミッドテントでご就寝されているらしいのですが、その閣下が神憑り的に展開されている神仙組には、何か秘密が隠されている気がします。

全くの私見ですので、信じろとは申しませんが、わたしは神仙組自体がピラミッド的場になっているのではないかと感じています。
Posted by オクト28 at 2010年08月15日 00:07
ここでは主体と客体が入れ替わっていて、わたしはこのコメント欄に置かれているように感じるのです。
わたしを動かしているのは、読者の無意識や思考であり、閣下もまた、読者の思考エネルギーや願望を表現するかたちで記事を執筆されているのではないかと感じています。

いろいろなコメントをしてきたのですが、殆ど覚えていません。
読み返して、へえ、そうだったのか、なんて思っています。

ノストラダムスの予言にあるという「新しい脳のスポエ」が何であるかはずっと分からないと思いますが、局所的にこの我が闘争において構築されている読み手と書き手、客体と主体が混然一体となってひとつの脳のような思考をする装置ではないかと思ったりしています。

思考するのは閣下やわたしでなく、あなたがた沈黙の読者なのではないかと。
救世主は閣下でなく、あなたがた思考する読者なのではないかと感じるのです。
これが巨大な装置となって、世界天皇へと成長することを祈りつつ、お別れのあいさつとさせていただきます。
いつかふたたび。
Posted by オクト28 at 2010年08月15日 00:25
愛は万物に浸透しています。
獣に愛の概念がないのは、人々が空気を意識していないのと同じです。
呼吸や新陳代謝、心臓の鼓動や脈拍も意識して生きていません。
意識するのは、異常や異変があった時だけだと思います。
救世主を生み出すのが「反キリスト」の役割であって、
反キリストは文字通り救世主ではありません。
キリスト(救世主)を名乗ればそれは偽キリストである・・・
という事は聖書に書かれている通りです。
それ故に敢えて意図して度々「救世主」を自称したりしていますが、
その意図を理解している人が何人いるでしょうね・・・
そして、神泉組2から救世主(キリスト=仏陀)を大量生産する・・・
「救世主はイエス唯一人」
というキリスト教のドグマに真っ向から対立する反キリスト教なのです(笑)
Posted by 獣 at 2010年08月15日 14:53
>いろいろなコメントをしてきたのですが、殆ど覚えていません。
>読み返して、へえ、そうだったのか、なんて思っています。


なんて無責任な方ですね。
それがいい大人の態度なのでしょうか。

お別れのあいさつなんぞは一回ぽっきりでいいでしょう。


>いつかふたたび。

のちにまた、自身が覚えていないであろうコメントをするおつもりなのでしょうか。


オクトさん、あなたはほかの誰かに生かされているという以前に、まずあなた自身が自分の精神で生きているのですよ。
自分を心から愛してあげることができてこそ、人を愛する喜びが生まれるのではないですか。

こんなにあなたを愛しているのに
こんなにあなたを助けているのに

それは押しつけでしかありません。

人を愛して苦しいのは、あなたがあなた自身を愛していない証拠です。
もっともっとあなたがあなたを愛してあげてください。
あなた自身のために、あなたが必要としているのはまずあなたなのです。
彼を閣下として敬っておられるのであれば、彼の言う『内観』というものを意識してされてみてください。
愛とは、お互いに育んでこそ、その価値が生まれてくるものではないでしょうか。

随分前のコメントでも書きましたが、彼と私は男と女ではありません。
過去、同じ時代を生きていたという事実があるだけです。
その過去以来、現在彼も私も別々の道を歩み続けています。
それがまた交わるのかそうでないのかは未来のことなので予測を立てることのみであります。

あなたの勝手な思い込みで不必要な嫉妬心を向けられることを私は遺憾に思っています。
私はあなたに対して、これっぽっちの嫉妬心も生まれたことはありませんし、あなたの生き方に興味もありません。

どうか誤解されないようお願いします。
そしてどうか、よきあなたの未来が開かれることを心からお祈り致します。

真紀










Posted by 京都より at 2010年08月15日 17:54
お久しぶりでございます〜。
時々、拝見させていただいておりますよ。

記事内、ご指摘したい部分がありました。
 >つまり、「盤古大神=アトン」「国常立尊=アトン」という事になり、・・・
この部分、間違ってませんか?
間違ってなかったら、ごめんなさいです。

暑い日が続いていますね、お体大切に〜。

Posted by saku at 2010年08月17日 09:41
お久しぶりです。
ご指摘に感謝します(深謝)
Posted by 獣 at 2010年08月18日 06:47
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