2011年03月03日

ホワイトイーグルが教える「光の奉仕者への道」

人間だけでなく他の生物にも愛を実践しよう
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他の生物とは……動植物だけではなく、鉱物やその他あらゆる物質も含まれる。
つまり、宇宙万物が生物であり、生物ではないものは存在しない。
万物は素粒子(意識)で構成されており、
宇宙一切の総ての総てが生物(神=自分)なのだ。
内観をすると、この「自他一体」「一体全体」の認識が深まってくる。
植物にしても、例えば、聖母が大根の皮を剥いて
生ゴミとして捨てるのを見ると、獣は胸が痛くなる。
極自然に「ごめんね」という気持ちになるのだ。
肉食などは、正常な神経の持ち主には絶対に出来ない。

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かく言う獣も、夏になると、腕や足に止まった蚊を叩き殺してしまうが、
慈悲の心で「ごめんなさい」と反省しながら殺害を実行する。
同じように、様々な物質に対しても慈しみを感じるので、
物を破壊したり粗末にしたり出来なくなった。
掃除をするとゴミが出るが、ゴミを捨てる時も「ごめんなさい」とか
「有り難う御座いました」と自然に口に出てくるようになる。
それが「大愛」、仏教で言うところの「慈悲」であろう。

物を捨てる時は、「エネルギー停止マット」の乗せて、
「有り難う御座いました」と言ってから処分する。
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ホ・オポノポノも「一体全体」ゆえに、人類をはじめ、生きとし生けるもの、
あらゆる物質が共通してもっている、地球創世以来の記憶を
クリーニングすることで、目の前の問題を解決していくのだ。
少し前に「資源を大切にする」という内容の記事を書いたが、
それと通底するテーマである。

はせくらさんのアート
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釈迦は「慈悲」を説いたが、慈悲の心は持とうとして持てるものではない。
内観によって「自他一体」「一体全体」の認識が深まるにつれて、
自然に胸から湧き上がってくるものである。
ただ、獣の場合は魔界に入る以前、幼少の頃から慈悲の心が強く、
雑草や小さな虫にも慈しみを感じていた。
その気持ちが蘇って、更に広く深くなったという感じである。

テレビや冷蔵庫、洗濯機、パソコンや携帯電話などにも意識が存在する。
信じられないかも知れないが事実であり、七田眞氏の本を読むと、
それを証明する様々な事例が載っている。
人間も動植物もその他の物質も、同じ素材(素粒子)で形成されている
生物であり、本質的には総てが融合して全体(宇宙)を構成しているのだ。
それを「一神則多神則汎神」という。

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幼児が人形やぬいぐるみを可愛がるのも、「生物への慈しみ」である。
大人が、ブランド物を大切にして愛着を持つのも「生物への慈しみ」だ。
但し、それらの場合は、「所有物への執着」と紙一重なので、
本末転倒にならないように注意が必要だ。

目に見える物を総称して「物体」と呼ぶとするが、
「物体」と「空間」も同一存在である。
量子論的にでもそのような理解と認識を深めれば、
慈悲の心が生まれてくるのではないだろうか。
釈迦が教えたとされる「慈悲の冥想」も、慈悲の心を育てる祈りだという。

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また、七田眞氏は「右脳を開発したら愛の人になる」と言っているが、
右脳を開発するというよりも、右脳と左脳を統合することが重要である。
故に、腹式呼吸の習慣が大切な理由が分かるだろう。

脳波をシータ波にすること自体、潜在意識の浄化作用がある。
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万物は一体だが、人間と動植物、その他の物質の区別は必要である。
差別ではなく「区別」である。
例えば、目の前に「斬られる人」と「伐られる木」が立っていて、
どちらを助けるべきかと言うと、当然ながら人間である。
それは、命の重さが違うからで、魂は人間にのみ宿っているからだ。
愛や慈悲は、真我から放射されている光のエネルギーである。
人間以外の他の生物(物質含む)にも愛を実践することは大切だが、
人間への愛行が最も大切であるということだ。

では、愛行とは何か……。(生長の家)
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「真理を知らされたという事は、それを他の人々に伝える為に
知らされたのだということを知らなければならない。
人類の先ず目覚めなければならないことは、
個々人として孤立した存在ではないということである。
われわれは、自他一体の存在であるから、
この世の中に一人でも不幸な人が存在するかぎり、
真に自分は幸福になることは出来ないのである」


まさに、マザー・テレサを彷彿させる。
獣もマザー・テレサのように、幽界で霊の救出作業に当たっている。
だが、獣とマザー・テレサには大きな違いがある。
「慈悲」と「何とかしてあげたい」という気持ちは紙一重である。

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獣は根本的な救済、即ち、相手に真理を悟らせて
自ら救われる意識進化を促しているのだ。
それは、生きている人間に対しても同じである。

杉浦和尚は、死ぬ時にわだかまりや囚われが清算されると言っているが、
殆ど全ての人が死後も持ち越して幽界に留まるのである。
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「菩薩とは菩薩をつくる人なれば、積徳こそは菩薩の菩薩」

それは、以前から主張している通り、
救世主の大量生産が「反キリスト」の仕事だからである。

ボサッとせずに、ボサツ(菩薩)を目指せ!
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「愛」や「慈悲」とは、頭脳から発する考えではなく、
真我から発する光のエネルギーである。
「愛行」や「慈悲の実践」はホワイトイーグルが説く「光の奉仕」と同じである。

魂の光を輝かせ、人と地球を救うことができる、
法師の知恵と技術が明かされます!!
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ホワイトイーグルはこう語る。

「人間は太陽に象徴される神の生命の光を宿した存在です。
その光を肉体と思考の束縛から解き放ち、
文字通りの太陽人として、魂の光を輝かせることが、
人類の進化の目的であり、その証なのだ。
魂の光は、自分自身の無限の可能性を開くとともに、
他者に放たれた時、その命と魂を輝かせることができます。
また、地球に光を注げば、弱った大地やそこにいる精霊たちを
甦らせることができるのです。
私たちは、地球を侵食し、共に傷つけ合うだけの
愚かな生き物ではありません。
内なる光を共に讃え合い、生かし合って、
地球を光で満たすことのできる存在なのです。
私たちは光の奉仕者になり、
地球と人類の未来に貢献することができるのです」


その光をチャージする方法が、太陽瞑想と光呼吸なのだ。
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愛と慈悲の実践が「善行」だとすると、我よしの利己主義が「悪行」である。
それでは今回も立花大敬氏の記事を紹介するが、
法華経は汝の事が書かれているので他人事ではないという。

すべて光の中に
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「私は、動物も、植物も、山も河も含めて『人』と呼んでいます。
なぜなら、全ての存在は『光』によって形作られ、生かされている。
全ての存在が、光(ひ)の集まる処(と)であり、
光処(ひと)、光尊(ひと)なのだからです」

「さて、今度は『善なる行い』について考えます。
どういう行動が善なる行動なのでしょうか。
反対の『悪なる行い』の方から考えてみましょう。
『悪なる行い』とは、自他を弁別して行う行動のことです。
自分だけ儲かればいい、他の人がどうなっても構わない、
また、自分と家族だけが幸せであればいい、
人がどんなに不幸でも何ともないと思って行動する。
そんな『我よし』「我勝ち」の行動を『悪の行為』とします。
ですから、『善なる行為』とは、
自他を分ける仕切りを取り去って行うような行動のことです。
『善なる行動』をした後は、パーッと光が差し込んだような、
自分も世界も一気に明るくなったような感じがして、
喜びに満たされます。
これは、自他を分けていた仕切りが外れた事によって、
天(全体生命)からの、霊的流入が一気にやってきたのです。
だから、突然パーッと光が差し込んだような感じがするのです。
それだけでなく、その人の霊的エネルギーも、
その流入によって増加したので、想いを実現する能力も増大します。
この想いを実現する能力のことを、仏教では『徳』と呼んでいます。
ですから、善なる行為を行なうことによって、徳を積むことになり、
想い通りの人生を送れるようになるのです」


但し、「徳積み」を意識した自我の行為は「偽善」である。
無我の境地で、見返りを求めず、反射的に行うのが「善行」であり、
また、その善行を人知れず行う「陰徳」が、最高の善行である。
つまり、善行は「究極の自己中心主義」である必要があるのだ。
結論として、善行を行なう努力ではなく、無我の境地になる為に、
ホ・オポノポノや腹式呼吸などを行なう努力をするべきなのだ。

究極の自己中心主義と世界平和の祈り
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/158841686.html
「一日一善」と身魂磨き
http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/164126180.html

ゴッドはココとも繋がりがあるらしい
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この記事を書き終わって暫くしてから、
立花氏の「善行」についての資料がもう1枚でききた。
読んでみると、獣が上記で書いたような事が書かれていたが、
ついでなので掲載するのでお読み頂きたい。
長文で読むのが面倒だと思うかも知れないが、
画像UPして文章を書き写している獣が最も面倒である。

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「『悪いことはするな』というだけでは、
消極的で暗い人間ができ上がってしまいがちなので、
『善い行動は奉って実践せよ』と出てきます。
善とは、自他の囲いを取り去って、我を忘れて=A
大宇宙とイケイケになって行動
(この時、私の意志は大宇宙の意志となる)のことなんです。
こう言いますと、善の行動とは大変難しいようですがそうでもない。
我を忘れて無心にやった行動が善なのですから、
お年寄りの為にヒョイと席を立って座らせてあげる。
これは、ヒョイと無心にやった行動なんですから、善です。

ところが同じ行動でも、いろいろ頭の中で思案して、
お年寄りの年齢と自分の歳を比較し、疲労度を検討し、
他の席の空き具合を調べ、バスの振動状態を調べ、
立つべしと判断して立ち上がったとしたら、
無心で我を忘れてやった行動ではないので善の行動ではありません。
無心で、我を忘れている時、自分の囲いが消えています。
そこからヒョイと出てくる行動というのは、
自分の損得を超えた、大宇宙の行動なのです。
ゴミをヒョイと拾うといった小さな行動でもそうなのです。

その時、囲いがないから、大宇宙に充満している光が
ドッと私に流入し、エネルギーが押し寄せてきます。
私は元気になり、明るくなり、健康になり、活力に溢れます。
無心で、我を忘れて行う善行で、
このように結局私自身が救われる事になるのです。
ですから、『善の行為はうやまって行いなさい』とあるのです……」


だが、運命が決まっているという理論に基づくと、
「善行」も「悪行」も因果律に於いて決定している事になる。
次の記事を読んでもらいたい。

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「この世のことは全て過去世が原因となって起こっているのだから、
現世をあるがままに受け入れるしかない。
それを自力で修正するというのは間違いだ。
この煩悩ある人間を極楽浄土へ連れて行ってくれるのが阿弥陀さんなのだ」

「あるとき親鸞さんは唯円さんに
『私の言うことを何でも聞けるか』と尋ねます。
『はい、何でも言うことを聞きます』と唯円さん。
親鸞さんは『それではこれから、人を千人殺してきなさい』というので、
びっくりした唯円さんは『私には一人も殺すことはできません』と答えます。
親鸞さんは『人間が心にまかせて善でも悪でもできるなら、
往生のために千人殺せと私が言ったのだから、お前は出来るはずである。
しかしお前が一人も殺すことができないのは、
お前の中に殺すべき因縁が備わっていないからである。
自分の心がよくて殺さないというわけではない。
殺すまいと思っていても殺してしまう場合もあるだろう』と言うのです。
あらゆる罪は、暗い前世からの業のつくりだしだもの、
だからすべての善悪を業にまかせて、ひたすら念仏を唱えるというのが、
親鸞さんの教えなのです」


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親鸞の教えはモリケン理論と一致しているが、
白光真宏会の五井昌久氏も同様の教えを説いていた。

「……ところが幸いなるかな、世界平和の祈りというのが出てきて、
あなたが悪いのではない、今あなたが悪いように見えていても、
あなたの心が悪いのではない。 
過去世の因縁が今あなたの前を通りかかって、
消えてゆく姿ですよ、と教えてくれるわけですね。
だから消える姿なんだ、どんな悪い想いが出てきても、
どんな悪い行いが出て来ても、しまったと想ったら、
それを掴んだままで、世界平和の祈りの中で洗濯してもらいなさい。 
そうすれば世界平和の祈りの大光明が消して下さるから、
もう再びその悪い行いをしなければいいのだ。
また出てきたら、また入れればいい。 
三度び出てきたら三度び入れればよい。
四度び出てきたら四度び入れれば良い。
そういうように入れちゃえばいいでしょ。
そうやって入れてしまう内に、きれいになってしまうのです。
なんでもかんでも自分で始末しようと思ったって、出来っこない。
自分で心臓を動かすことが出来ないと同じように、
自分の業想念は自分では始末がならないのです。
始末がなっていれば、御釈迦様以来みんな幸福になっているわけなのです。
御釈迦様のような偉い人は出ても、イエス様のような偉い人が出ても、
この世の中はそんなによくならなかった。
それは(業想念の)始末が自分では出来ないから。
それで法然さんのような偉い人も、親鸞さんのような偉い人でも、
自分ではどうしにも始末が出来ないから、
阿弥陀仏におまかせするんだというんで、
南無阿弥陀仏といって、阿弥陀様一念に入っちゃったでしょう。
あんな偉い人でもそうなんだから、社会生活の混沌とした生活の中で、
欲望の中にまきこまれながら生活している現代人が、
自分で自分の心を変えるなんてことは、とても出来るものではありません。
私自身出来やしない。だから神様の中に全部入っちゃったわけですよ」

http://jinja-bukkaku.seesaa.net/article/160335119.html

これは他力本願だが、厳密に言えば、自力と他力の融合である。
神に全託して全てを委ねる事が「命懸け」であり「天人合一」であり、
慢心・自我の強い自力本願(ハンドル)を手放すということなのだ。
ただ、ひたすら念仏を唱えるよりも、ホ・オポノポノが教える通り、
「ごめんなさーい」「許して下さーい」「愛していま^す」「有り難う御座いまーす」
「感謝しまーす」を、問題に直面した時や、思い出した時に唱えるのが良い。
そして、ブルーソーラーウォーターを飲んで、ソバを食べていれば良いのである。

posted by 獣 at 10:51| Comment(7) | 獣神示 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
肉食をしないと言うのは大変です。
今日、肉食の事で母と結構な口論になりました。
僕は2009年から肉食をやめて家族にも肉の入っていないメニューを母に作ってもらい、
父と母はたまに肉を食べますが、今までその肉なしの生活が続いてきました。
ですが、やはり母は肉が食べれないのがイヤで正直な所は普通の肉食に戻りたいそうです。

僕は母に激しく肉を食べて欲しいと言われましたが、
どうやら母の目には肉食をやめてからの僕が、
なんか不健康的でエネルギーが無いように写っているそうです。
それから、肉を食べなくなってから勉強に集中しなくなった事も・・・

ですが、僕は絶対に肉食をするつもりもありませんし、
肉食をやめてから不健康になったと言うこともありません。
むしろ、健康的になったし持久力もつきました。
確かに、僕は昔は肉が大好きでした。ですが、小学生の頃から、
肉を食べるたびに体調がおかしくなり、口の中が痛む事に気づきました。

母は肉をたくさん食べなくて良いからたまに食べる程度で良いといっています。
それに、肉なしメニューと言うのはかなりキツイそうです。
ごめんなさい、いただきますと言う気持ちがあれば肉食をしても問題はなしい、
肉を食べたとしても自分の体の中で活きると母は主張しています。

僕は動物が機械的に管理され人間に殺されると言う現実が我慢できませんし、
なおさら、それを自分が食べると成ると罪悪感でたまりません。
僕は動物のためにも自分のためにも人類のためにもベジタリアンとしての、
活動として肉は食べませんが母は食べないよりも食べた方が動物の為になると言っています。
ですが、それでは何も変わりません。

僕はそれなりに反抗しましたが、そのたびに母は嘆いていました。
確かに、僕が家族に迷惑をかけているのは事実だけど、
これも家族の事を考えての事です。家族を正しい方向に導けない、
自分の不甲斐なさには日々、反省する事です。
ですが、肉を食べないのは僕は人として当然の道理だと思います。

母に肉食禁止は誰の影響かと迫られましたが、僕は言いませんでした。
それは、もちろん閣下の影響が大きいです。
家族には理解されながら理解されていない所もあります。
今回の事は僕がなんとか平穏に治めて今はいつもどおりに、母も僕も戻りました。
そして、こうやって閣下のブログにコメントしています。
かなりの長文で愚痴を書いて申し訳ありませんでした。
Posted by 真薩供 at 2011年03月04日 21:53
肉食をやめて不健康になることはまずありませんが、
家族の調和を考えると非常に難しい問題ですね。
しかし肉食自体が不調和なので、肉体解禁によって調和を図るのは間違いです。
僕は「料理に動物の死体を入れるな」と言っています(笑)
肉食の害を少しずつ理解してもらうしかありません。
大丈夫だと信じれば健康上の問題はないことは確かですが、
それは催眠術で青酸カリを飲んでも大丈夫なのと同じ原理です。

ヒトラー総統は「私が肉食をしないのは単なる健康上の問題ではなく、
心の奥底からの信念である」と言いました。
健康だけではなく、動物のことや飼料問題などを考えての肉食放棄
という鬼将軍の思想と実行力は、若くして素晴らしく大変立派です。
Posted by 獣 at 2011年03月05日 10:32
ご助言、大変有難う御座います^^
野菜は生きていますが肉は死体だとよく友人にも言っています(笑)
確かに、徐々に家族に肉食の有害性を解き明かしていくのが一番の近道だと思います。
え!?ヒトラー総統もベジタリアンだったんですか?肉が好きって聞きましたが・・・
それならなおさら、ヒトラー総統閣下に尊敬ですね(笑)
人類が肉食放棄すれば、環境問題、戦争などほとんどの問題が解決すると思います。
何かそれに向けて良い方法ありませんかね?
Posted by 真薩供 at 2011年03月05日 10:51
調べてみると、ヒトラー総統はレバーだけは食べていたという説がありました(笑)

生類憐れみの令を草の根運動で広めていきましょう^^
Posted by 獣 at 2011年03月06日 06:44
・・・僕はレバーは昔は大嫌いだったんですよ(笑)
今は僕は実は好き嫌いは全く無いんですが、肉は食べ物の分類に入りません。
まず、肉食の有害性をまとめてブログの記事にするか、動画を作ってYouTubeに流したいと思います^^
もっとキツいやり方をすれば、家畜の動物が殺処分されている映像でPVを作るか…
それか、同じ様な映像を何個も作ってYouTubeを菜食主義で埋め尽くすと言う方法もあります(笑)
Posted by 真薩供 at 2011年03月07日 00:02
それはナイスアイデアですね!
肉食の有害性については神泉組でも書く予定です〜
Posted by 獣 at 2011年03月07日 17:50
ネット上で菜食主義のテロを起こそうかと思います(笑)
名づけて「草の根テロ」です(笑)
Posted by 真薩供 at 2011年03月07日 21:26
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